いくつかの折々の手紙

哲学などに関わる軽い読み物

人生はろくなものではない

いま,いろいろと悩んでいる自分を落ち着けるために,まずはそのことを第一の目的として,書いておこうと思う.

 

24歳のころ,尊敬している,ある先輩とご飯を食べに行くことがあった.だいぶ年の離れた先輩,「先輩」と言うより「先達」とでも呼んだほうがよいような方だ.そのころは自分はお酒を飲まなかったが,先輩はよく飲んだ.飲んでも,先輩は節度をうしなうことは無かった.しかし,ある話に差しかかったとき,一瞬だけ先輩の暗い部分,人には話せそうにない,それゆえにどこかで話しておきたい,そんな部分が見えたように思った.子どもの話のときだ.

 

先輩は男性で,結婚していた.配偶者の方もそれなりの年齢の方だった.結婚したのは割とさいきんのことだった.「ぼくたちには子どもがいない」と言っていた.このまま年老いて,夫婦のどちらかに介護が必要になって,片方が死に,もう片方も死ぬ.何の話の流れで,この話題になったのか.たぶん,枝葉のような話だったはずだ.それなのに,あの日にどんな楽しい話をしたかはもうほとんど覚えていないのに,先輩のあの暗いトーンを今でも覚えている.ぼくたちには,子どもがいない.

 

当時の自分にとっても,この話,というか話の一節は衝撃的というか,今まで全く考えたことがなかったことを考えさせるものだった.当時の自分は怖れ知らずだった.大学に残って,一生学問ができればよい,他に欲しいものはない.一生,学問を抱えたまま苦しんでいけたら,と思っていた.怖れ知らずというより,無知ゆえに端から諦めることができていた.先輩の話は,そのもろい諦めを簡単に突き崩した.24歳のころから,結婚する自分,というものを考え始めた(もちろん,配偶者を得るということと,子どもを持つ,ということは全く違う話であるが).ちょっと笑えるかもしれない.今まで自分が魅力的かどうか,そんなことを考えることさえ自分に禁じてきたのだ.細々と考え続けているが,24歳のころから,自分は大して変わることができていない.思考は人間を変えなかった.毎朝起きると,鏡には貧相で愛想のない小男が,小汚い面を向けて映っている.最低限の身だしなみと称するものが,安い服を着て,街の路地をせわしなく徘徊している.

 

先輩の話を聞いてから,十年近くが過ぎようとしている.いま,なぜこんなことを思い出しているのかと言えば,またさいきん,諦めが戻って来たように思うからだ.具体的な人生のプランがあるわけではない.しかし,人生は苦しいものだ.人生には楽しいことがあるべきだ,人はしあわせになるために生きているのだ,と思っていたが,それは強迫観念だった.生は幸福である必要はないのだ(幸福であったほうがよいのは間違いないが).人生は苦しくてよいのだ.苦しむことを自分に許そう.なぜ,こんなぞっとするような考え方に自分は戻って来たのかと言えば,自分が本来の自分であるためには,つまり何か考え事を続けるためには,楽で安全な道などどこにもない,と分かったからだ.自分はずっと,このことを直視するのを避けていた.それゆえにどこに行くこともできず,結局苦しんでいた.何を選択しようと,苦しいのだ.

 

映画『アメリ』に,「アメリには不幸になる権利がある」というセリフがあったように思う.もちろん,映画のなかで,これは悪魔のささやきだ.アメリは幸せになるし,このセリフは何かばからしい間違いということになるだろう.自分もいま,ばからしい間違いで人生を台無しにしようとしているかもしれない.ただ,幸せになろうとするのは,自分にはほんとうのことではなかった.どうなろうと人生は苦しいのだから,自分は自分が歩くべき,苦しい道を歩こうと思うと,心が安らかになるのを感じる.ようやく自分は自分に戻った.

 

「徹底的に」

 2014年の春のこと、大学の新しい講堂で、著名な哲学者であるN先生の講演があった。N先生は、哲学の議論では訳の分からない、「ふわっとした」言葉を使うと訳が分からなくなる、というようなことを言った。講演の最後に、今私がしてきた話の中で、訳の分からない言葉を私は使ったのだが、どれだか分かるか、とN先生は聴衆に問いかけた。司会の先生が答案を出したが、それは違うらしかった。N先生は講演の中で、「徹底的に考える」という言葉を使っていた。この「徹底的に」というのが、訳の分からない言葉だと、N先生は言った。

 それ以来、このことは覚えていたり忘れていたりだったが、大学の先生を観察していると、去年だったか、勉強も研究もしていない(と私は判断した)、大学の仕事ばかりやっている偉い先生が、学生に「徹底的に考え」てほしいと言っていた。他方、一日中数学のことばかり考えているような人が、自分のやっていることを数学をいじっているだけだ、と言ったりもする。なるほどと思った。偉い先生ほど、「徹底的に」という言葉を使いたくなるのかもしれない、と思った。

 自分が偉い先生になる可能性はほぼない。しかし自分はいつか、「徹底的に考える」という言葉を使ったり、自分がそれをしていると言いたくなったりするかもしれない。そのことが怖く、この記事を備忘録として書く次第である。

ロースかつ丼・国

 大手のコンビニへ行く。夜食を買うために。物色していると、光る棚の中段に、白いカップ容器に入ったロースかつ丼が複数置いてあり(成型肉だと思う)、手前のひとつに「100円引」というシールが貼ってある。ふと、この国は滅ぶのではないか、という不安に囚われる。

 「ほろぶのならほろべばいいさ……」と言っていられるのは、現代日本人特有の平和ぼけのように思った。自分は三週間に一度精神科に通い、二種類の薬を出してもらわなければならない。薬が無ければ生活はかたちを成さない。精神科の背後に医療制度があり、保険制度があるのだった。国には健康を人質に取られている。なくなられては困る。と思った。チョコバナナを買って帰る。

青森・日本

日本にいる理由を失ったのだなあ、と思った。祖父の四十九日で青森に帰り、いま幽霊学生をしている大学のあるK市に戻ってきて、一週間くらい後のことである。

 

祖父の危篤を聞いて、死の前日に会うことができた。手を握った。祖父がどう思っていたかは分からない。意識ははっきりしていた。

祖父母の、あるいは両親の死に目に会えないかもしれないことへの恐怖は、顕在化していた訳ではなかった。いま、自分はそういうものを持っていたかもしれない、と遡及的に思っているだけで、過去どうだったかは分からない。しかし、子供の頃、夜に爪を切ることを何とも思わず、迷信を聞いてからも、「両親の死に目に会えないというのは、それだけ遠くに行っていて成功しているということだから、よいことなのではないか」などと考えていた。ところがここ数年、夜に爪を切ることに、ささやかな心理的抵抗があった。

祖母はまだ生きている。僕の四人いる祖父母の、最後の一人だ。それなのに日本にいる理由が無いと言うのは、ばば不幸なのではないか。それでもさっき、スーパーからの買い物帰りに空を見ていたとき、自分は日本にいなくていいのだ、と思ったのだ。

 

もちろん、どこか別の場所に行く当てがある訳でもない。自分は日本国外に出たことがない。だが、先に青森に帰ったとき、父の前で日本の哲学業界の悪口を言っていると、父は「それならアメリカにでも行けばいい」と言った。それまで、留学するとか国外でやっていくということを、具体的選択肢として考えたことがなかった。ろくに業界のことも知らない癖に、口さがなく鬱憤を晴らしているのは、冷静になれば恥ずかしいことで、でも確かにその通り、そんなことを言うなら、アメリカにでも行って痛い目を見て来ればいいのだ。その通りだ。

 

そう思っても、何も当てはない。物思いにふけっていると、日本でやりたいことも少しは出てくる。思えば、T大学もK大学も青森に無いのが悪い。青森に無いせいで、自分は一人暮らしになって精神を悪くしたり、浪費したりで、あるいは当てもないことをつれづれに考えもする。ずっと青森にいたかった。でも、そう思うようになったのは、青森を出た後のことなのだった。

 

積み上げない

出典は面倒なので書かないが、小平邦彦が、自身の受けた教育を振り返りつつまずは国語と算数をしっかり教えなさい、と言う。小平は 1915 年に生まれている。僕は共感と寂しさを覚える。いま、小平に共感する人がいたとして、どれくらい堂々と、同じことを言えるだろうか。

 

数学は、基本が分かっていないと先に進めない学問だと思っている。ローカルな例だが、整列集合の感覚が掴めていないと集合論の先の方に行けない、というふうに。しかし、どの基本がどれだけ必要かは、その時々による。場合によっては、定義と主要な結果だけ覚えていれば、先に進んでしまって困らない、ということもあるかもしれない。僕は数学の浅瀬で遊んでいるだけだが、たぶん最先端の数学をやっている人は、どこか必要のない基本を、ブラックボックスにして進んでいるだろう。だから、この段落の初めに掲げた、「数学は基本が分かっていないと先に進めない」は、本当に正しいかは疑わしい。あくまで原則の話である、と今は受け止めている。

 

基本はさらうくらいでよい。と言うよりも、実は、さらうくらいでなければならない、のではないか。数学に限らず、知識は積み上がり、積み上がるスピードも増す。根から始めて葉に行かなければならないが、人間の寿命は今のところ飛躍的に伸びた訳ではないから、どこかを端折らざるを得ない。どこを? 本当の基礎は、結局よく分からないのだし、原始的過ぎて応用がある訳でもない。であれば、思い切って根元をばっさり切って、もうちょっと葉に近い方から始めればいいのではないか。なにしろ、先端に行かなければならないのだから(しかしなぜ?)。

 

他方で、哲学という、一向に積み上がる気配のない学問もある。

 

人間の生物学的な限界が、いつか知識の体系を頭打ちにしてしまう、ということもあるかもしれない。すると今度は分岐を増やそうとするのだろうか。幅については、人間たちのあいだで分担すればよいから、何とかなりそうである。がしかしそうすると、今度は人口の問題にぶち当たる。人間以外にやってもらってもよいが、なんだかそうしていると、何のためにやっていたのか分からなくなってくる。何もしていないのに、デスクの上に読まれていない論文が積み上がっていくのは、ほぼ悪夢的ではないか?

 

積み上げなかったり、むしろ壊したりする知識があってもいいかもしれない。反知識は、知識の存在を前提にして存在が許される。どうか壊す知識そのものが、破壊不可能ではありませんように、と祈っておこう。

 

短歌雑記(『光と私語』から)

わたくしに差し出される任意の数字 街じゅうの人と指を指しあう
𠮷田恭大『光と私語』「光と私語」
枚数を数えて拭いてゆく窓も尽きて明るい屋上にいる
同上
 
この世界には、事物があふれている。それらのあふれを、数として(抽象化して?)見ている、というところに、これらの歌の特徴があると思う。
 
一首目。英語のdigitには「(人の)指」という意味と、「位取り記数法で用いる数字」という意味がある。「わたくしに差し出される」数字(それは何であってもよく、あり得た他の可能性はあふれるほどたくさんある)の夥しさと、「街じゅうの人」と「わたくし」の指の夥しさは呼応し、digitとして、同一の夥しさとなる。
 
「わたくし」に示される可能性は、たくさんあるだろう、光のように多量の可能性が。
 
光あふれる街角で、それぞれの可能性を多量に充実させながら、人々が行き交い、お互いがお互いを指さす。息の詰まるような充溢を感じる。二句目六音は、可能性の充実の差し出され方のあっけなさを示し、三句目の字余りはそのままあふれてしまいそうになる。「街じゅう」の「じゅう」の音、表記も、あふれる感じを思い起こさせる。
 
二首目。一首のなかに、長い作業の持続とその完結を感じさせる。たぶん一階から始めて、上へと窓を拭きながら上っていく(作業をするひとは、屋内にいるのか、屋外にいるのか)。
 
おそらく窓は多い。窓から光が流れ込み、部屋中をあふれさせる、ここにも光の充溢のイメージ。徐々に増えていく数え上げた窓の枚数。上へと上っていき、屋上に至るとき、光は何にも遮られずに画面のなかになだれ込む。「~て、~て、~て、結果」から、上っていくさまが感じられる。
 
世界の充溢を前にして、この人は、特に何の感想も持たない。あるいは、持っても書かない。数々の指が数になるように、景色を作り出す光は白色であるように、この人も何か抽象化された、窓のようなものかもしれない。

 

妖怪が出会う 河野裕子一首評

逆立ちしておまへがおれを眺めてた たつた一度きりのあの夏のこと (河野裕子

 

 

実家に送ってしまって手元に河野の歌集がないので、テキストは

河野裕子 / 永田 淳【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア

から孫引きをした。

 

この歌と初めて出会ったのは、高校生のとき、国語の便覧を眺めていてのことだった。読んだとき、これは妖怪の視点に立って詠まれた歌だろう、と思った。河野が有名な歌人で、この歌も有名で、といったことを当時は知らなかった。たぶんこの歌には歌人の人生に関わる背景があり、それに基づいた歌の解釈もなされてきて、それらの解釈には妖怪など少しも登場しないかもしれない。以下では、当時のぼくが直感的に読み取った、おそらくエキセントリックと言ってよい読みを紹介したい。

 

唾を眉につけたり、脇から覗いてみたりすると化け物の正体を見ることができる、というような話がある。おそらくこの妖怪も、逆立ちをすると見ることができるタイプの化け物なのだと思われる。妖怪はすっかり油断していて(どうせ誰にもおれのことは見えないのだ)、人間たちのあいだをうろついて暮らしていた。夏、子供たちが遊びまわっているなか、ひとりだけ仲間の輪から離れた子が、じっとこっちを見ている。しまった、こいつにおれは見えている! 逆立ちをしているじゃないか! しかしその子は何も言わず、じっとこちらを見ている。眺めている。まるでおれがいるのがふつうであるかのように。(変な子だ!)

 

それはたった一度きりのことだった。その子のことは、その後は見なかった。どこかへ行ってしまったのか、それともやはりおれが怖く、もうあんなもの見たくないと思ったのか。それとももう、ほかの人間たちのように、逆立ちするのをやめてしまったのか。妖怪は夏が来るたびに思い出す。なにしろ、妖怪を見たものは、見て怖れなかったものは、これまでいなかったのだ。妖怪の永い一生のなかで、あの夏が、奇妙な一点を形成する。これまで人間と関わりなく過ごしてきたなかで、あの一点は、確かに奇妙で貴重だった。

 

この読みでは、河野の歌は妖怪の孤独と、そのなかに一瞬灯った明るい記憶を映したものになる。すばらしい歌だとぼくは思う。妖怪は、人間よりずっと長いその一生で、人間たちがいなくなってからも、このことを思い出すだろう。