いくつかの折々の手紙

哲学などに関わる軽い読み物

哲学について現時点で思っていること

Wittgensteinの著作を,とりわけ『哲学探究』や『確実性について』を読んでいるとき,これは(間違っているかもしれないが)嘘ではない,と思う.彼のような書き手がいてくれてほんとうによかった.

「嘘である」の意味を間違っているということと解する数学の慣用に慣れたひとには,先の言明は不可解に思えるだろう.先の言明で「嘘ではない」というのは,誠実である,くらいの意味である.誠実でない哲学,誠実でない学問などあるのか,と思うかもしれないが,私見では,哲学をしている間,誠実であり続けるのは難しい.

例えば,人権という概念は,全くの哲学的ファンタジーだ,と考えることができる.僕はそうは思わない.それほど,人権という概念は,確固としたものであるように僕には感じられる.しかし,これをフィクションだと思うひとがいてもおかしくはないと思う.そのひとにとっては,人権ということについて論じた哲学・倫理学の著作は,全く誠実さを欠いたもののように見えるだろう.

僕は,非哲学者がファンタジーを信じていてもよいと思う.しかし,哲学者自身は,自分の頭が作り出した概念がファンタジーかもしれないことを,常に気にしていてほしいと思う(なぜそう思うのか自分でも分からない).しかし実際は,自分が血を注ぎ込んで定義し,擁護している概念を虚構と思いたくない哲学者が大半と思う.哲学をしている間誠実であり続けるのは難しい,と言った理由はこれである.

Wittgensteinは,しかし,自分の編み出したファンタジーが嘘であることを,常に気にしていたような気がする.彼が書いたものを読むと安心する.彼は,哲学的問いを(賛成はしないにしても)(ほんとうの意味で)理解しないということはなかったのではないか,という気がする.繰り返すが,彼のような書き手がいてくれたことは救いである.