いくつかの折々の手紙

哲学などに関わる軽い読み物

『Lilith』から好きな歌を三首

 もし、僕を信用してくれるという奇特な方で、日本の本屋さんから本を買えるという人は、悪いことは言わないから今のうちに川野芽生『Lilith』(書肆侃々房、2020年)を買っておくとよいと思う。たぶん後で買っておいてよかったと思う日が来る。

 だいたい、(『Lilith』や書肆侃々房さんの他の本がどうかは分からないけれど)歌集というのはどんなにすぐれたものでも一年か二年で本屋さんから消えてしまったりする。積読でもいいから今のうちに買っておいたほうがよい。一語一語を、その歌が連作中のどの位置に置かれているかに注意しながら、噛み締めるように読んでいくのが一番いいのだろうけれど、手元に本を置いてぱらぱらページをめくるだけで十分楽しめる。

 

 以下では、『Lilith』から好きな歌を三首引用し、短い感想を付す。

 

傘の骨は雪に触れたることなくて人身事故を言ふアナウンス

                          (「老天使」)

 僕の生まれた町では、冬になると毎日雪が降り、人々はうんざりしながら早起きして雪かきし、雪の道をのっしのっし闊歩する。しかし、東京(やたぶん他の都市)は違うということが、僕には小さな驚きだった。東京では二月くらいに突然10cmほど雪が積もり、交通機関は止まり、駅にあふれた人々は殺気立つ。東京の雪の日は、人々の慌ただしさと、愚かさと、一抹のかわいらしさとから切り離すことができない。

 この歌で詠まれている一日もまた、そんな雪の日なのだと想像した。傘の骨は傘の内側に張られているから、通常の使い方をしていれば傘の骨は(たとえ雪の日だとしても)雪に触れることはない。この歌の作中主体もまたきっと、人身事故の現場を直接見たわけではないし、(人身事故が自殺のために起こったとして)その犠牲者を死に至らしめた原因に直接触れたわけではない。通常、私たちはそうしたものに触れることなく生きていく。この読みだと、傘の骨というのは私たちのことだということになる。

 しかし、雪に触れたことがない、と聞くとき、ふと「夭折」ということばが思い浮かぶ。雪に触れることなく、壊れていく傘もあるのかもしれない。そういえば、今電車を止まらせるにいたったこの迷惑な犠牲者は、雪で遊んだことがあったのだろうか。死ぬ前に積もった雪を楽しむことができただろうか。この歌はそんなことを思わせる。地味だが、この本で一番好きな歌かもしれない。

 

ねむるときからだがかるくなるでせうひかうきはあのちからでとぶの

                          (「ひらくのを」)

 「ねむるときからだがかるくなるでせう」――、そんな気もしてくるし、そんなことはない気もする。ここでは、眠りに落ちるとき魂が身体から離れていくという原始宗教にあるようなイメージが、科学技術の象徴である飛行機の飛行と重ねられている。ひらがな表記のこの学説には、子供のひねりだした、ふしぎと筋が通った夢のような説得力がある。確かに、魂がからだを離れていくときの力で、僕たちは飛んでいけるのかもしれない。ただ問題は、一度飛んでしまったら、もう戻ってこれそうにないということだろう。

 

憂愁をかつてきみよりならひしにきみにはなれず グラスを仕舞ふ

                          (「水の真裏に」)

 実は『Lilith』の作者である川野さんとは僕は大学時代の知り合いで、以前このブログで「白昼夢通信」を取り上げたのも、川野さんのご活躍に触れて、感想を書き残しておきたいと思ったからだった。

 この歌が含まれる連作「水の真裏に」のプロトタイプは、『本郷短歌』第四号に掲載されている。『本郷短歌』第四号を編集する過程で、「水の真裏」(改作前のタイトル)が印刷されたプリントを見せていただいたときのことを、まだぼんやりと覚えている。確かその時は、この歌にとくに心を動かされたわけではなかった(ただ、「川野さんの歌にしては分かりやすいな」とは思っていた気がする)。それにもかかわらず、この歌と、同連作中の「ゆゑ知らぬかなしみに真夜起き出せば居間にて姉がラジオ聴きゐき」、それから姉妹が曇天のもと植物園をさまようイメージは、僕の脳裏に消えずに残った。『Lilith』を手に取ってこの連作を読み返した今、何が僕をそこまで引き付けたのか、まだよく分からずにいる。

 暫定的な答えは、「この歌は人間についての普遍的な真理に触れているから」というものだ。「憂愁」のような、ごく個人的な感情とその身振りさえ、人をまねして覚えるものだということ。模倣の対象は、ごく親しいひと、「あなたからでなければ学びたくない」というようなひとでなければならないこと。そのようなひとには、どんなに努力しても追いつけないということ。きっと人には、自分の理想として常に自分の人生に付きまとう影のような存在があるのだ。いや、話は逆で、その人のその理想こそが光で、人は各々その影に過ぎないのだ。僕たちが理想に追いついたとき、光が消えたとき、影たる僕たちも滅びる。

 

 多少狙ったところもあるけれど、好きな歌を選んだ結果、多少奇妙なセレクションになったと思う。『Lilith』の歌の多くは、作者の美しい幻想と、それを作品に仕上げる強力な構築力、凝りに凝った韻律を特徴とする。「ねむるとき~」は違うかもしれないけれど、ここで紹介した歌は微妙にそうしたメジャーな歌からは外れていると思う。しかし、このような歌の中にも、世界と、世界の中の人間とについての謎のヒントが隠されているように感じる。